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残虐な戦争 乗り越えてたくましく生きる
二十一世紀 この子らにやさしさを・・
<佐賀から発信するボランティア活動>
NPO法人 カンボジア教育支援フロム佐賀(cess セス)
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人生は旅であるとは至言であります。
旅ならば、第一、楽しくなければなりません。
悲喜こもごもと表現したがいいでしょう。
その点で考えると・・・
カンボジアの旅は、考えさせられる旅でした。 |
国際空港で米ドルの両替ができない
佐賀をたつ朝は冷たい雨がふりました。 南国のカンボジアへゆくのに、雨のために幾分着こんだ着物が、さきざきで邪魔になりそうです。 福岡国際空港は一九九九年五月に開港しました。私は、その開港まもない六月に、友人と「アメリカ一週間の旅」へ旅たちました。そのときのことをふと思いだしています。
福岡空港は、年間乗降客が二千万人に及ぼうとしています。一九八七年(昭和62年)をベースに考えると、国内線はほぼ倍増。国際線は実に三倍増の勢いです。 ここ数年、日本人の海外旅行ブームはすごく、年間に千七百万人におよんでいます。
私は、広い駐車場から国際空港玄関を入り、出発カウンターのある三階へエスカレーターで移動します。遠ざかるコンコースの人影を見ながら、だんだんと旅の気分が盛りあがってきます。そのとき、航空券を取り寄せてくれたKさんのアドバイスで、五十ドル紙幣を小分けしなければと思いつきました。
二階のF銀行の窓口で五十ドル紙幣の両替をお願いしたときに・・
係「ドルの両替はできませんよ」と言われたのです。
私「ええっ、ダメなんですか?」とダメを押しましたがだめでした。
係「ここで換金しましたか?」
私「いいえ」
係「それなら、すみません、ダメなんです」
私を、ガラス窓越しに冷たい視線が覗いています。 日本円をドルに両替はOK、日本円の小分けはOK。でも、ドルの両替はダメ!。 あとで考えることになりましたが、つまりこうなんです。手数料が入らない!。 私の無知とはいえ、断られると気分が悪くなるものです。
初回に軽くジャブをくった感じで旅は始まりました。
下図の地図の説明
首都プノンペンの右下にスワイリエンがあります。スワイリエン文字の「ワ」文字付近がリング村です。カンボジア教育支援フロム佐賀(CESS)が、支援する学園があります。白い地域はベトナムです。
アンコールワットは、トンサレップ湖の左上付近。
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その2 入国ビザ記入もれの不安。
今回は、たった一人旅。
これは気楽でよかったのですが、困ったことが一つありました。
それは、相手国の空港で入国ビザがうまくパスするかという不安です。
皆さんは、外国の入国検査台をご存知ですか?
審査官がパスポートと一緒にカウンター越しにジロリとにらみ、異国語で質問を受けたことがありますか?
私は、かって苦い経験を持っていますから、どうしてもその時のことが浮かんできます。
福岡―バンコク間の飛行時間は五時間です。
入国ビザは、たっぷりある飛行時間を使って記入することにしました。
アテンダントが配ってきたビザ用紙を見て、ちょっと心臓が震えました。
しかし、気を落ち着けてよく見たらタイ語と英語で入国ビザは書いてありました。
その英文字の小さいこと、何事でこのように小さく書くのかといぶかるほど小文字です。
私は、両手でメガネを前後に動かして文字を大きくしました。
そうしたら見えました。しかし、見なれない文字が幾つかあります。
分かるところから記入をしてゆき、分からない部分は「ザウルス」をとりだして
英和辞典を使って記入しました。
さながら飛行機に乗って英語検定試験という構図になってしまいました。
そうこうしているうちにバンコク国際空港が見えてきました。
最後にどうしても分からないことが一ヶ所あるのです。
ベルト注意で客席を回ってきたアテンダントに、ビザを差出して問題個所をトントンと指差しました。
彼女はペンを取出してサッと記入しました。
助かりました。
私は、何度もお辞儀をして気持ちを表わしました。
立ち去ったあと、改めてビザをよく見たら「SAGA JAPAN」と書いてありました。(笑い)
バンコク国際空港近づく
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